2006年1月号 編集 砂川 香代子   

一月一日 愛する事   
あけましておめでとうございます。
 生きとし生ける、すべてのもの平等に新しい年が明けました。
介護するものにとって、晦日も元旦もないのが正直なところです。

 私の手をしっかと握り、行く 手を安心して委ねる、彼や彼女ら。愛すべきひとたちです。もちろん、楽しい事ばかりでは有りません。わがままを言って怒鳴られたり、齧られたり、杖で殴られたり、そんな時、我儘の裏側に必ずある、心の痛みを鑑みます。

そうすれば、肌や心に刻まれる傷跡は、勲章に思えてくるから不思議です。 傷が増える度に、彼や彼女らに近づくのを肌で感じます。しかし、変えられないことがただ、ひとつだけ有ります。心をこめて介護しても、それはいつだって、旅立へと続く道のりだからです。老いは、残酷です。慈しんで、慈しんでも彼や彼女らとのお別れがゴールだと言う現実です。予告もなく、いずれ訪れる恐怖に絶えかねて、涙が止まらない夜があります。眠れない夜があります。 それでも、人は御飯を食べ、排泄し、オナラをし、笑い転げ、眠り、また食べます。生きることは大局から見れば、小さいことです。でも、自然の摂理から眺めれば、なんと美しく尊いことでしょう。彼や彼女らと結ぶ尊い時間たち、今年もあなた達の手を離さずに、笑ったり泣いたりしながら共に生きたい。そう、願ってやみません。

○日 耳
 船津氏、田中嬢、上山嬢、川野嬢、鶴田嬢、重光嬢、シゲコ嬢は、難聴です。耳が不自由だと、どうしても自分だけの時間が広がってしまい、他人を相容れる許容がどんどん狭まってくるようです。職員は補聴器や聞き耳に向かって大声を張り上げ、孤独に陥らないように苦心します。
難聴と、言えなくても彼や彼女達は、一応に聞こえづらい耳を持ち歩いているようで、「聞く」と言う行動で毎日、珍事がおきます。耳のせいなのか、もともとの力量なのかは見当がつきません。船津氏、シゲコ嬢は合唱の時、ほぼ独走体制です。みんなの歌声なんかに、かまっていられません。みずから作曲したメロディを信じ一心不乱に歌います。二人の歌声は外れに外れ、朗々と詩吟のように部屋中に響き渡り、歌は本筋からかけ離れ、終る頃には何の歌なのか解らなくなるほどです。上山嬢、田中嬢、鶴田嬢の耳は、一言で言えば勝手耳です。都合が悪くなると「絶対」というほど聞こなくなります。めんどうな事、嫌いな事は参加しなくていいように「聞こえんかった」「知らんかった」ふりをします。それなのに、どんなに遠く離れていても、臭覚だけは異常に発達していて、「食べ物の声」は、聞き逃しません。その調子の良さは、呆れて笑えます。川野嬢、シゲコ嬢、重光嬢、恵ちゃんは、驚くほど似た行動をみせます。紙(ティッシュ)に執着し、腹回りやポケットに忍ばせ部屋にもこまめにせっせと運びます。彼女らの歩いた後は、落ちている紙類でたいてい解ります。夜中に不穏な行動が始まります。カタコトと大きな音をたてて深夜でもおかまいなく部屋で何かを始めます。タンスの中身の入れ替えや、時にはそのタンス事態の移動さえやってのけます。昼間とは打って変わった体力を発揮し、思わぬ速さで背後に近寄られ「わっつ」と、驚くことも多々あります。食べ物の残りや、食器、布きん、お箸や、色鉛筆を部屋へ持ち帰り、意外な所へしまいます。なので、朝になると思いの他、彼女等の部屋は散らかっています。深夜に音を立てて、他人に迷惑がかっていると云う認識が全くありません。
シゲコ嬢、恵ちゃんは、うまく家事をこなします。動くことにおいて身体を決して厭いません。方法さえ呑込めば何でも、とても丁寧にやり遂げます。居ないと困るほど助かっています。ただ、洗剤をつけたり、布きんと、台拭きは違うという認識ができません。田中嬢と川野嬢は、根あかです。歯に衣着せぬ、はっきりした物言いをします。そのせいでヒヤリとさせられる場面も多々あります。が、他人が反論をしても、耳が遠いので聞こえる事はなく、従って喧嘩にもならず、反省する機会に恵まれないので、いつも、言いっぱなし状態です。その頂点に君臨するのが入木氏、靜枝さん、重光嬢、真鍋嬢です。「聞こえん」「わからん」「しらん」「おぼえてない」で数々の戦場をくぐり抜けます。遣りたい事を遣りたいように自由に生きている彼や彼女達。「マイペースを優遇することが本当の意味での幸せなのか?介護なのか?」と、悩む事が沢山の場面であります。これがもし子供なら、駄目な事は駄目。してはいけないことは、いけない。と、叱るはずです。それが「もう○歳なのだから、病気だから」「生きたいように生きるのが幸せなのだから」と考えてしまう。「老人」というだけで自由に振舞わせる事は、なんだか、逆に差別しているのではないかと思う時があります。それでも、悩みつつ、折れてしまう私達。それは、教育のせいなのか、処世術なのか、悪なのか未だに解りません。悩んでいても、時間は容赦なく過ぎ、今日も小さな、他愛もない揉め事がおきます。聞こえているのか、いないのか、解ってやっているのか、いないのか、本人にも、解らないのかも解りません。
涙そうそう

♪古いアルバムをめくり
ありがとうってつぶやいた
 
 朗読で、シゲコ嬢に読んでもらうと若い人が歌う、その歌詞が悲哀のある、人生の応援歌に変身しました。第?Tホームで、船津氏が朗々と口ずさみ全員に人気を博している歌です。平均年齢の高い第?Uで果たして効果があるのか、実行してみました。シゲコ嬢が読み終わる前に、ソファーの端に鎮座していた福永嬢が目を赤らめ、ホロホロと涙しました。横並びに座っていた全員が驚き、彼女を見詰めます。かつ舌のはっきりしない久永嬢が、「いい歌やもんなぁー」鹿児島のイントネーションで歌詞を書き込んだ紙を見詰めながら、しみじみ言い、福永嬢の気持ちを代弁します。どうして泣いたかを尋ねると「色々な事を思い出したの」と言います。彼女は九十三歳です。まだ子供だった頃、テレビドラマ「おしん」のように辛い、女中(お手伝いさん)奉公に出、十代の八年間を他人の中で厳しい行儀指導、言葉の矯正に明け暮れ、泣きながら寝た夜も数え切れないほどあったそうです。
 九十三歳になった今でも、人生の基礎となった明け暮れは、衝撃の思い出となり、折ある毎に私達に話すのでした。病になった時、強烈な印象を経験した所で年齢が止まるのではないかと私は思います。彼女は、思春期に苦労を重ねた十代に思い入れが強く、そのせいで記憶がそこで留まってしまったように思われます。同じようにシゲコ嬢は、和服を仕立てていた働き盛りの頃にとどまり、鶴田嬢は、材木を担いでいた血気盛んな頃にあります。
 逆に一番幸せだった頃に記憶が残る人もあります。その意味で久永嬢の記憶は、母親と生活していた甘く楽しかった頃に留まっていますし、太田嬢は、ご主人と息子さんがいて一生懸命働いた人生の絶頂期に留まっています。数えればみんなに一つづつ他人には解らない苦労や華がありました。
♪ いつもいつも胸の中
  励ましてくれる人よ
  晴れ渡る日も 雨の日も
  浮かぶあの笑顔
  思い出 遠くあせても 
  面影探して よみがえる日は 
  涙そうそう
彼女の部屋の壁に、歌詞を書いて貼りました。すべからく、すべてを忘れて行くあなた。毎朝、新鮮な気持で私にこう言います。
「貼ってくれたのですねー。ありがとうございます。今朝は、もう三回読みましたよ」
指を立てて三をつくるあなた。
目の回りは、赤く薄っすら染まって、
泣いたあとがありました。
○日 年頭表明
園田嬢六十三歳。「歩行器で公園まで往復する」適度に太って、まあるく膨らんだその頬を紅潮させながら元気良く発表。
-ほぼ寝たきり状態だった彼女。二年たって、今や一番のお元気さんになりました。毎夕、不自由な手に箒を握り締め、共用を掃いてくれます。
恵ちゃん七十二歳。「朝早く起きて朝御飯
をちゃんと食べます」夜中の内職がたたって朝すでに疲れている彼女。塗り絵をすると、この病気独特の塗り方(絵の外を細かくウロコのように塗る)をしていましたが、最近、普通な塗り方に変わってきました。そのせいか、寒波のせいか、「勝手に遠出」は、ナリを潜め、肩を撫で下ろしています。非常に喜ばしい限りです。
入木氏七十一歳。「朝起きたら体操をするー」参加していない後ろめたさはあったようです。普段は、温厚でおちゃめで、いい人そのものですが、人の欠点が許せないと云う本人の欠点があります。特に敵視(勝手に)している船津氏の喘鳴さえ「気に入らない」日があります。すると、彼の十八番大声で「ころすぞー」が突然始まります。一瞬、場は凍りつき、一同彼を「何事か?」と、振りかえります。が、それも二秒ほど。「又、始まった」と、ばかりに「なにも、聞かなかった」「何も見なかった」あっという間に、各々の作業に戻ります。共用の人々は無視し、時間は流れて行きます。振り上げた拳を下ろせないまま、かれは立往生し、激昂の収めどこがわかりません。やがて怒った事も忘れてしまい、シュンとなって、輪の中へ戻ります。みんな大人です。無視すべきとこは無視し、大らかに彼を受け入れる懐の広さを見せてくれます。
吉田嬢六十八歳。「しっかり歩けるよう頑張ります」この二年、我儘の言いたい放題だった彼女が入院生活体験をきかっけに「ものわかりのいい人」に変身しました。なんでそうなったのかは、知る由もありませんが、なんにせよイイ事なので、本人も他人も大喜びしています。
田中嬢八十二歳。「具合がわるくならんよー気をつけんといかんねー」他人事のように呟きます。持病をもっている彼女は、顔色の良い日や悪い日があります。最近は、元気がなく「家に帰りたい」を日に幾度となく呟きます。「いつでも帰っていいよ」と言うと、ほっとしたように喜びます。根が明るいので、私達の方が気持的に助けられているような所があります。
-船津氏九十二歳。「どうちゅう事もないけど、とにかく頑張るよ」入院を機に体力が低下した彼ですが、それでも年齢的には、極、普通です。以前は、部屋にこもり、俳句の通信教育を受ける程、勉強熱心でした。職員も一丸となって手伝ったものです。今は、淋しく無いように、ほぼ一日を共用で過ごすようになりました。それでも、勉強好きな記憶だけは残っていて「明日は、試験があります」「昨日は、遅くまで勉強しました」という報告が時々あります。又、高校の時の校歌をよく覚えていて口ずさんでいます。
彌枝さん六十四歳。「毎日、一生懸命歩きます」ご家族ならすぐ気付きますが、自分の-思いではなく、言わされた感があります。運動機能が低く、立つ歩く座るに、ひどく苦心しています。それでも、尿意を感じるようになり、汚す事が減ったのは、彼女の進化です。又、利き手で驚くほど「指相撲が上手い」のがちょっと自慢です。我こそはと思う方、いつでも相手してくれますよ。
靜枝さん八十三歳。「なんのことかわからんねー」四肢は自由になりません。長い入院生活のためせん妄(意識障害)がひどく-大声や叫声を一日中あげます。他人が注意すると、理に適わないような屁理屈を大声で淀みなく言い返し、その語彙の多さに驚かされます。なので、此の頃は、喋りが止まるまで、みんな我慢して聞く事になりました。唯一、左手が動くようになり、その手でおやつを食べたり、楽飲をもったり出来るようになりました。ひどかった褥瘡もきれいになりました。食事も三度三度、完食します。外出も必ず一緒です。
以上、年頭に今年の目標をみんなにインタビューしました。
この約束が果たせるかどうか又、来年インタビューしてみたいと思います。
第1・第2ホーム
入浴日月・水・金
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リューマチ体操・両手足ストレッチ・歩行訓練
レクレーション
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10日・合同初詣・若松蛭神社・回転寿司昼食会
誕生日
5日重光90際
23日坂本83歳