2006年3月号  編集 砂川 香代子  

○日「鶴への恩返し」
彼女は九十二歳。激昂しやすく弱いものに強く強いものに弱いたちです。
外出するのに靴を履き替える時、「私の靴は、ない!」と太い声で言います。「これよ」と砂埃の付いた黒い靴を差し出すと、「ちがう、こんな汚れた靴はもたん!」心外と言わんばかりです。大急ぎで靴を拭きあげてマジックで名前を書きあらためて差し出します。すると「汚れるけんもったいないき、はかん」万事がこの調子です。「体操するヨー」と声をかけると「こげな年寄りがしたっちゃなんになるね。わたしゃせん!」と怒り、「お絵描きするよ」と声かけると「そんなもん一回もしたこたぁなかけんせん!」習字…「字なんか書けんきわたしゃせん!」散歩…「ヨタヨタしたばぁさんとあるいったちゃなんになるねー」しまいにオヤツ…「どーせしょーもないオヤツやろーも、いらん」ときます。なんでも一度はケチをつけなくてはおさまりません。掛け声のようにまずはケチをつけます。かといって参加しないかというとそうではなくきちんと真面目にすべてをこなし、オヤツは誰よりも先に食べ終わります。自分が「達者な人間」と信じていますから弱った人には罵声をあびせます。隣に弱った人が座ろうものなら大声で文句を言います。一瞬にして空気は曇り冷たい雰囲気が漂います。あれやこれや説得を試みますが、口の悪いのは今更というように直りません。そこで、彼女の真似をしてみることにしました。先手を打って、彼女が言いそうなセリフを口真似します。初めはポカーンとした顔をしていました。
あれだちが小さい頃にはよーめんどーみたもんねー」と、何度も教えてくれます。
しめくくりにホームメイトひとりひとり順に立ち上がってお祝いの言葉を送ります。久永嬢の番になりました。彼女はパーキンソンで歩行とお話しが困難です。口の悪い彼女はここでも、「いいちゃ、なーもできん…人やき…」と手を振り払います。
ガタンガタンと椅子をおしのけ久永嬢が不自由な身体で立ち上がりました。そして、「おめでとうございます。これからもげんきでがんばってください」きちんとお祝いの言葉をのべたのでした。体調の芳しくない川野嬢も立ち上がりお祝いをのべます。身体が不自由であっても、律儀に他人のお祝いができる立派な大人たちです。この真摯さに彼女は胸をうたれ「こげなぁことをしてもろたとは、生まれて初めてたい」涙ぐみ、とても嬉しそうです。弱ったものが弱ったものを態度や言葉でいじめることが往々にしてあります。認知症であることが矯正をはばみきく耳をもちません。それでも、身内の一滴の愛で知らず知らず優しさをとりもどすことがあります。

彼女に家族はありません。けれど、寒い誕生日の日。甥御さんの優しさと思いやりに溢れた訪問は、ろうそくのあかりのようなともし火が心にきざまれます。忘れる病気であっても温かさは必ずのこるのです。
ちなみに彼女の名前は鶴です。
甥御さんの行為は「鶴への恩返し」だったかもしれません。
叩かれて川になりきる春の水
           (攝津 幸彦)

○日「一陽来復」
入院していた船津氏(九十二)、
上山嬢(七十六)が帰宅して、しばらくは体調もはかばかしくなく、腫れ物にさわるように日々を重ねていました。入院が続くと家の中は、のみこめない異物がひっかっっかっているかのようにこころぼそさが蔓延します。ある日、「おひさしぶり」と、肩を叩かれたかのように、ふりむくと船津氏、上山嬢の顔色がいつのまにやら元に戻っているのでした。食欲のない上山嬢ににぎり寿司を食べさせてみたり、元気のでない船津氏につきっきりで歌をうたったり話かけたりしたのが功を奏したのか、ただ、その時期がきたのでそうなっただけなのか誰にもわかりません。船津氏は喘鳴がひどくなりました。始終もれているように、口から音がします。それだけで体力を消耗しているようです。けれど、それも慣れたのかやっと以前のように「ワハッハワハッハ」と意味もないところで笑う癖がもどってきました。彼の笑顔は本当に美しいので見ているだけで嬉しくなります。上山嬢は、太りすぎて心配していたのが嘘のように痩せて理想的な体重になりました。そのせいか食べ物の好みが変わってしまいました。なんでも、口に運んでいたのに今では、味付けの濃いものを好んで食べるようになりました。少しづつ食べる量も増えて嬉しくなります。
「細木数子のテレビは、今日あるかねー?」と聞くのが日課です。テレビを見る元気が嬉しくなります。船津氏は以前のようによく歌うようになりました。お気に入りの職員と手をつなぎ廊下を歩きながら、トイレで用を足しながらと場所を選ばず軽妙にうたいます。

十三日町内で敬老の催しがありました。バナナの叩き売りや手品を見て楽しみましたが、なにより愉快だったのが船津氏でした。当日、缶ビールが配られました。彼は人の分までなにげに自分のものとし二缶飲み干してしまいましたテンションはどんどんのぼり調子となり、なにを聞いても
「ワハッハハワッハハ」大声で笑いつづけます。その嬉しそうな顔を見るだけでこちらまで楽しくなります。元々彼はビール好きです。禁酒なんて固い事言わずにたまには好きなビールを飲ませてあげるのもいいなぁーと感慨深いものでした。突然彼は、「学校のウエダがきとるはずじゃが…ウエダー!ウエダー!」と呼び始めました。いないことがわかるとすぐに気持を切り替え気分上々で例の歌を歌い始めました。
たかととんびときじと
つばめのかりがねは
うぐいすのなきごえは
くくへんがらげんのくくく
へんがらげんのいときんちくちゃん 
つんぐるりんの
ほーほけきょ
いちいちすっかむっか
すれへんげれげんのくくく
小倉工業高校の応援歌だといいます。独特の節回しで退院してきてから急に口ずさむようになりました。気分は高校生なのかもしれません。七十年以上も前に覚えしうたを口ずさむ彼の脳裏にはいったい何があるのでしょうか?私達には窺い知る事はできません。
病む人がなく、からだの不調を訴える人もいない今日この頃「しあわせだなー」つくづく思います。
「ようやくいいことがめぐってきた」という意味の「一陽来復」という言葉が頭に浮ぶのでした。
「前略」と書きしばかりや春の宵
            (中村 苑子)
○日「不思議がいっぱい」
十六日合同で東区のいのちの旅博物館にいきました。朝からつめたい雨がそぼ降っていました。到着して館の職員さんに濡れないように玄関前に車を付けたいと頼みました。意外な答えが笑顔でかえってきました。「できません」
「ここは、市の建物でしょう?おかしいんじゃないですか?」抗議するも暖簾に腕おし、糠に釘、聞く耳がなく終始笑顔で断られました。少し前、ビジネスホテルが障害者に対する建築義務違反でひどくパッシンングを受けました。当時私はビジネスホテルだし利益を追求する民間だしそこまでメディアもパッシングしなくてもいいのにと思いました。けれど、ここは、違います。立派に税金を投入して立てた公共施設です。おまけに職員さんにも未来永劫税金が投入されるのです。まちづくり条例はどうなったの?物申すと恒例のようにウエノヒトがやんわりとお出ましになります。「玄関はタイル張りで車が乗ると割れるから…」とおっしゃいます。(そんなタイル誰が貼れといったのか?人よりタイルの命の方が大切なのか)食い下がるとすましてにのくが飛び出します。「どちらのかたですか?」
(ほうら、きました。このセリフ)
すべては肩書きが世間に通用する印籠のようです。この壁のタイル一枚分負担したかもしれない一市民のあがきは風に吹かれるたんぽぽの綿毛のようです。交渉して結局帰りは裏口に駐車する権利を得ました。けれどそこは玄関前のように庇がなく結局濡れて車椅子を押したのでした。博物館のなかは素晴らしいものでした。ふと懐かしみました。無口な重光嬢が
「おおきいねー、おおきいねー」と見上げ、ガラス張りの床の上を「こわい、こわい」とビビル鶴田嬢。
案外小心者だとわかり大笑いがおきます。「ここは、たいしたもんです」と喜ぶ船津氏。ここにおいて帰ったらどーする?」と聞くと、「もちろんすぐ寝る」と答える彌枝さん。大笑いします。トイレの前で迷子になり心細く立っていた福永嬢。以外に喜び饒舌になった久永嬢。終始ニコニコ顔の恵ちゃん。車椅子に乗りたいために元気の無いふりをして見事達成した入木氏。食事の出来るスペースもあり、ゆっくりする事ができました。何日か経った今でも「行ったねー」と懐かしんでくれます。行って良かったと思います。けれど、だからこそです。あの建物はいったいいくらかかったのでしょうか?タイルは一枚いくらでしょうか?

館内で何人もの障害者や車椅子の人に出会いました。あの中で働く者達はおかしいとも思わずに雨の中を車椅子で歩かせるのでしょうか?絵に書いた餅のようにさみしげに雨に打たれているゲートの閉まったスロープを横目に帰宅したことを思い出します。
第1・第2ホーム
入浴日月・水・金
リハビリ顔体操・足浴
リューマチ体操・両手足ストレッチ・歩行訓練
レクレーション
塗り絵・家事全般
ボール遊び・日光浴・
早口言葉・カラオケ・
貼り絵・しりとり・合唱
 5日・第?敬老会
13日・第?敬老会
16日・合同、
   いのちの旅博物館
 5日・園田64歳 
15日・入木72歳
19日・後原73歳