2006年5月号 編集 砂川 香代子  

○日「虫」

首筋がむずむずするので指先で払うと2センチほどの尺取虫がはらりと落ちた。草むしりした時についてきたらしい。ぽたりと床に落ちた尺取虫は体制に異常無しとばかりに腹をもちあげゆるゆるとうねり始めた。共用でよく見る景色がある。
「あっちの旦那さんは最近来ちゃーないねー」田中嬢が隣に座る鶴田嬢にささやく。(つもりだが、難聴なので案外に大声で全員に聞こえてしまう)鶴田嬢は田中嬢の視線の先に座るメイトへ視線を移す。「本当やねー」鶴田嬢が納得と言うげに、「前は、よー来てあったけど、どうしてなんやろー」心配げに言葉をたす。

「そういえば、息子さんも見えんねー」そうそう、と相槌。「よー見えていたのにねー」暫く四つの目は彼女に注ぐ。可愛そうに、と言う言葉は飲み込んで二人はじっとメイトを見つめる。一方、当のメイトは可哀想がられているのも知らずに食事介助を受けている。食べることを忘れているので、口を開けさせ食べる行為を思い出させるのは時間がかかる。それでも以前に比べると時間のかかり方が少なくなった。彼女は、思い出したように咀嚼してくれる。痩せっぽちの彼女。

職員は体重を増やそうとやっきだ。あせらずに時間をかけて三食きっちり完食しきる。その甲斐あって最近頬の肉がつき丸みが付いてきた。体重も増えつつある。以前、熱が不規則にあがり体力は目に見えて低下した。とうとう一人で立つことも出来なくなり、心配が続いた。立位すら出来なかった彼女。なだめたり叱ったりして気長な食事介助を続けた。「食」は基本だ。口から食べる。それ自体が人間を形成していると思う。先日の入浴時、浴槽でいきなり立ち上がった彼女。職員は、驚嘆し、喜びを伝書鳩のように伝え、喜びは全員の励みとなり、大喜びさせてくれた。たまらなく嬉しいものだ。ところで、かのメイトには旦那さんも息子さんもいない。田中嬢が心配するように「此の頃来ない」のでなく「来たことが無い」のが本当のところだ。けれど修正することはない。

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夕方になると、太陽のにおいがする洗濯物がソファーの上にばらまかれる。目端の利く女性軍が周りを囲みテキパキと畳み始める。畳み方も十人十色だ。アイロンをかけたように仕上げる人がいる一方、だらだらと形だけ「畳みました」みたいなものもある。しぜん几帳面な者が雑な者に厳しい視線を注ぐ。アイロンは、不機嫌オーラをそこいら中にばらまく。だらだらは、お構い無しにどんどん畳む。アイロンは空気をよんで気づいてくれないのが二重に腹立たしい。剣のある口調で非難しはじめる。一人が言い始めると波のように協調する者が現れ、かしましくなる。世のおばさんと変わるとこは無い。それでも気づかない。とうとう激昂し、「きたない」本人に申し渡す。イカリのために顔があかくなり、目はキッとつりあがり「鬼」のようです。なんでも一生懸命な彼女は真面目な分だけ不真面目なものの手落ちを許さないところがあります。ところが面白いもので、だらだらの中に、「洗濯物を折り紙のように畳む」という価値観が全くない。これまでも、これからも。従って怒る相手の真意が飲み込めません。ぜんぜん平気です。そりゃそうです。人生八十も九十も生きたのです。価値観や生活観の違いは押し着せて着せられるものではないのですから。

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食後「お茶碗を洗う」競争があります。急いで食べ終わり職員のGOサインを洗い場近くでじーっと待ちます。仲良く並んで洗えばよいのですが、それが許せる者と許せない者がいます。「この仕事は自分のもの」という自覚が強いほど他人の介入を許しません。手を出されると「鬼」のような形相をして睨みます。すべてが敵に見えます。この「鬼」のような表情はアルツハイマー型認知症のメイトによく見られる表情です。「記憶の訂正」ができないといわれる思い込みの記憶から開放されにくい分「許す」という作業ができません。此処で会ったが百年目、千載一遇。敵を見るような表情をします。でも大丈夫。神様は同時に「すぐ忘れる」という特効薬を用意してくれています。過日、アイロンはだらだらと仲良く日向ぼっこをし、洗い物をとりあった敵同士は手をつないで散歩に出かけます。私の肩から滑り落ちた尺取虫は、マイペースで尺を測りながらすべるように体をUの字に曲げ進んでいきます。人の世は虫の好くもの好かぬもの体が骨になり土の下に眠るまであるのかもしれません。

子の髪の風に流るる五月来ぬ     大野 林火

○日「言葉」

「高齢者は過去の病気の集積のなかで生きている」といわれるほど一人で多くの病気を抱えています。諸機能の低下で病気の数が増えても減ることはありません。長くかかえている慢性疾患は、認知症へ続く最短の道です。パーキンソン病もそのひとつです。外から見る特徴としては、動作が鈍くなる。静止している時に指の震戦、ふるえがある。姿勢は前かがみで前につんのめるように小幅で歩きます。歩き始めると次第に早足になり前屈姿勢で止まることができず、転びやすくなります。何より目立つのは、表情の欠乏、話し言葉の難解さです。嬉しいのか、悲しいのか、表情で読み取ることが難しい上に、何か訴えてはいるのですが、小声で走るように話す言葉は外国語のように聞こえ難解です。運動障害をおこすため様々な場面で日常生活が困難になります。彼女は、パーキンソンの諸症状を抱えて昨年十一月住人になりました。これまで彼女が立ち上がろうとする度に、サイレンのように、「たったよー」「あるくよー」あちらこちらから声がかかります。なにしろ驚くほど転ぶのです。起き上がり子法師のように、ころんころんとあちらこちらで転びます。怪我も絶え間なく作り

ます。住人達がしようとすること、言うことには、すべて意味があります。したいこと、言いたいことがあります。したいように行動させてあげていし、言いたいことを分かってあげたい。「骨折」の二文字は恐ろしいけれど、二文字を恐れて「囲いの中の人」にしてしまうのは不本意です。囲わなければ、立ち上がりたい時に立ち上がりバランスを崩して転ぶ。ことになります。これが傍目には「突然立ち上がったと思ったら転びました」と見えます。転ぶ度、病院へ走って行きます。痛い目にあうのを規制して籠の中の鳥になるのか、思うように行動してもらい痛い目に合わせるか痛し痒しです。見守りを重視して後者を選んだ私達。彼女の行動範囲はどんどん広がりました。「散歩に行きたい」と寡黙な彼女が意思表示するようになります。つんのめるように歩き、ブレーキの壊れた自転車のように、とっとっとと背中を押されたように進みます。本人の意思とは無関係に転ぶようにスピードが加速されます。彼女の体を支えながら一緒に小走りします。全速力で走っている姿は運動会の競争のようです。まだ浅い春のことでした。目の前を何かが降ります。桜の花びらでした。公園の桜並木の下を二人で駆けていたのです。薄い桜があなたをつつみます。

一等賞で走りこんだ選手に頭上のクス玉が割れて紙吹雪のお祝いをしてくれてい
るような気分になります。「オメデトウ」なんてね。帰宅すると決まってあなたはこう言います。「くたびれたー」心底くたびれたあなたは急な立ち上がりが少なくなります。もうひとつの難問。はなし言葉。苦労しました。小声でささやくようにすごいスピードで話します。難解というより全く分かりません。職員同志頭を寄せ合い、「こんなことを言っているようだ」と憶測したり、「こう言いたいんやろ?」と尋ねたり、(十中八、九、「うんにゃー」と言われ、うやむやになる)彼女はきっと分からない私たちが馬鹿に見えたのではないでしょうか?こちらの視線から見れば難解でも彼女側の視線からみればこっちがヘンかもしれませんから。「年をとると子供に返る」と言う人がいますが、私は「元来の人に返る」と思います。せっかちはよりせっかちに。気長はより気長に。病に倒れたときこの元来の性格が負にでたり、正にでたりして回復を遅らせたり、助けてくれることが多々あります。社交的でリーダー的な性格だった彼女は見事に正に出ました。すべてのリハビリを欠かすことなく参加します。歌をうたいます。早口言葉も発声練習も臆すことなく毎日続けました。気がつくと彼女の話し言葉がよくわかるのです。ささやくような声が、はっきりと聞こえるほどになりました。「何故?」私たちが彼女に近づいたの?いいえ、彼女が私たちに近づいてくれたのです。私たちの成長が待てず、彼女自身が成長して私たちに近づいてくれました。しかも、鹿児島弁の彼女はこちらの方言をまるごと理解するようになりました。日曜日、明け方またもや、転ばせてしまいました。病院へ走ります。「ごめんね。痛いやろ?」後頭部を消毒してもらいます。「うんにゃー痛くないよ」はきはきと答えます。「ごめんね。ちゃんと気をつけてあげられんで」謝ると、「あんたは悪くない」彼女は明瞭にこたえ私をかばってくれます。感動が胸をしめつけます。あなたの声はこんな声だった。改めて認識します。あな

○日「息子」

金宝樹の花が今年も開きました。真っ赤な花がコップ洗いの別名どうりチクチクと痛そうです。此花は密かに「入木の花」と呼んでいます。女性にもてもての彼をもじって植えたからです。何故かというと、燃えるような真っ赤な花弁は実は雄しべだと知ったからです。入木氏もどこかしら華やかなところがあり女性を和ませます。去年までは元気に歩き回り、みんなで散歩に行く際もメイトの車椅子を押してくれていましたが、此の頃は、頻尿による睡眠不足で体調が芳しくありません。糖尿病による手足のむくみがあらわれ、散歩に出かけてもすぐにへたりこんでしまうようになりました。糖尿病は、

それ自身で網膜障害、抹消神経障害、腎障害をかかえてしまいます。重ねて、認知症高齢者の三十%にみられるという睡眠障害をかかえて眠れない夜を過ごしています。医師への相談のもと、食事制限を更に厳しくし、一日に二回は、ホームの周りを一周散歩する計画をたてました。「食事制限」もともと甘党で濃い味好きの彼にとって、これは、かなりきついことです。食は、かれらの最後の砦です。食べることそのものが生きる目安といっても過言ではありません。味の薄いおかずに首を曲げます。彼にとって、確かにまずいはずのおかずを周りは「おいしい、おいしい」と言って食べているのです。「なにか、おかしい」のです。拳を振り上げたいのですが、きっかけがみつかりません。そうした毎日を重ねて、諦めたのか、慣れたのか、文句も言わず今では、おいしいと言って食べてくれるようになりました。「運動」に誘うのはコツがいります。「散歩に行こうか」なんて誘うと、「きついなぁ」にべも無く断られます。とにかく体がつらいようで昨年のように他人の車椅子を押すなんてワザは遥かな夢と成りました。こんな時の必殺技があります。「煙草を買いに行くけんついてきてくれる?」ウソですが・・・「そうなぁ、行こうか」目の色が変わります。ベンチにくっついているんじゃないかと思っていたお尻が、かるがると浮きます。
 彼は愛煙家です。むろん、本数は管理して最小限です。糖尿や高血圧に煙草は悪いので一日に彼が吸う煙草の数を少しずつ減らし、住人になったころに比べると半分以下の本数になりました。
今になり、管理している煙草に皮肉にも助けられふたりで「散歩する人」になります。春に花を咲かせていた木にさくらんぼの実がイヤリングのように並んでいます。そういえば去年も千切って食べたね。冬は、金柑の木から実を盗んで食べたね。勝手に柿をもいだことも、夏みかんをもいだこともあったね。果物が大好物です。病気に悪いものばかりが好きでこまっちゃうね。あなたの喜ぶ顔を見ることが少なくなって悲しくなります。体の機能が低下し、それに並ぶように好きな煙草や甘いものも制限を余地無くされます。生きることの意味をつくづく考えます。騙し騙し毎日歩いてくれる彼。饅頭や煙草や普段の食事に至るまで、楽しみ全てに制限をかけている事に申し訳ない気持でいっぱいになり、騙していることにひけ目を感じます。だけど、あなたが大好きだからどんなことをしても元気で長生きして欲しい。そんなあなたの今一番の楽しみは息子さんと一緒に銭湯に行くことです。日曜日、息子さんがスーパー銭湯に行くため誘いに来てくれるのです。毎日指を折って日曜日を待ちます。

「今日は何曜かな?」

「日曜は息子が風呂に連れて行ってくれるけどなぁ」自慢げにまわりに聞こえる声で尋ねます。男同士お風呂でなにを話すのでしょうか?背中の流しごっこをするのでしょうか?風呂上りに腰に手を当て並んで牛乳を飲むのでしょうか?ご家族の愛情は、私たちがいくら尽くそうとも比べることのできない強い絆です。それがホームメイトすべての夢であり、愛そのものです。存在そのものが強い支えになり、安定し充実した日々を送る糧になります。私達だけのちからで介護しているのではなく、家族の方々に支えられて介護はなりたちます。両輪あってはじめて前に進むことをつくづく痛感させられます。息子さんの愛と、彼の忍耐で手足のむくみは少しおさまり、血糖値も下がってきました。好物を食べさせてあげる日がとても待ちどうしい。「これ、おいしいなぁ」饅頭を食べる嬉しそうなあなたを早く見たい。金宝樹の赤い花が五月の風に揺れています。誰かを誘っているように。

手つかずの空ありて
   夏立ちにけり
      伊藤 道明

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