2006年9月号 編集 砂川 香代子  

「認知症の行動サイン」

認知症高齢者の行動の変化はさまざまな要因が関係する。精神症状ばかりではなく、環境や状況の変化、出来事、人間関係、身体の状態などが関係する。それらの要因を理解することが、適切な対応に繋がる。しかし認知症高齢者は、認知障害のために自身の状態を的確に説明することが出来ない。また進行した認知症については、自身の状態を認識することさえ出来ない。また進行した認知症については、自身の状態を認識することさえむつかしい。したがって、認知症高齢者の気持ちや思いを理解するためには、態度や身振り・表情の変化などを重視して行動や言動を観察する必要がある。その上で想定される要因に対して対応を考えるべきである。最終的には、薬物療法も選択肢となるが、まずは環境調整や対応による解決を試みるのが良い。
多種多様に出現する行動サインは認知症の重症度とも関係する。すなわち、行動の変化は重症度によって出現頻度が異なる。たとえば、暴言などの攻撃的な行動については、認知症の重症とともに頻度が増す傾向がある。徘徊などの目的不明の行動については、認知障害が比較的重症化してから出現する。また物取られ妄想などの妄想症状については、記憶障害の悪化とともに頻度が増し、逆に生活上の出来事をすべて忘れてしまう頻度になると少なくなる。一方、認知症の早期から重症化した段階まで広く認められる症状もある。例えば、抑うつや不安などである。しかしその内容については、重症の場合と軽症の場合では異なる。抑うつを例にあげると「家族に迷惑をかけるばかりだ」と自分を責めるような気分は比較的軽症で認められる。重症例においては、自責感や気分の落ち込みは目立たず、むしろ意欲や自発性の低下が目立つようになる。行動サインの原因を考える場合は、認知症の重症度をまず把握しておく必要性がある。

○日「夜の運動会」

昔々、ひとりで留守番をすると、決まって言われた言葉がある。「ねずみに、ひかれんよーにね」子供心に、あのちっちゃなねずみになんでひかれるのだろうかと不思議に思ったことを思い出す。深夜のホームには独特な世界がある。昼間そこここで賑わった場所に少しのぬくもりが鎮座し、静かに時間を刻んでいる。また明日も変わらぬ日が約束されているような錯覚に陥る。しかし、一晩休むごとに人は、死へのお遍路へ近づくことは、現実だ。夜はそんな境目をつなぐ時間かもしれない。夜の行動は、まさしく十人十色、人となりがそれぞれ浮かぶ。

彼は、七十二歳。
深夜の排尿回数がもっとも多い。ドアが開くとカランカランと四角い板が鳴る。ふらつきを見守る。
排尿を終えて、あるドアの前で立ち止まる。なにごとかぶつぶつつぶやく。それが、暫く続くので、なんだろうと見ると、ある人のドアに貼ってある写真に向かって小声で話しかけているのだ。暫く話すと満足したのか、「ほな、なぁー、おやすみー」右手を軽く振って帰路へつく。可愛くて笑いが止まらない。
彼女は、九十四歳。「幻の同居人」がいる。部屋でガタガタと物音がする。かけつけて話を聞くと、「何人も何人も泥棒が来た」と、興奮気味で棒立ちだ。「大変やったねー」と言い分をきく。ああだった、こうだったと、微にいり細にいり説明してくれ、こちらも現実味を帯びてくる。すると、彼女がすまし顔で、「わたしは、剣道を習っていたから助かったけど」と言う。
「け、けんどう?」
「うん、けんどう」
剣道を習ったことのない彼女がいつの間にか剣道の達人になっている。驚き、想像性に脱帽した。大笑いする。彼女もつられて微笑む。

彼女は、七十七歳。

テレビが大好きで、結構遅くまで、見ている。彼女の排尿のテンポはほぼ決まっていて、介護の抵抗もなくとても助かる。
排尿の往復、口の中でなにやらブツブツとしゃべっている。よく聞き取れなくて耳を澄ますと「なんみょうほうれんげっきょう」と繰り返しつぶやいている。それで思い出したが、先日、お世話をして下さる弟さん御夫妻が「法事をするから明日、朝十時に若松の方に向かって、御念仏を唱えるように」と言って帰られた。亡くなられた、御主人とお嬢さんの法事だ。翌日、そのことを思い出した職員が彼女を見ると、コックリコックリ食後の舟を漕いでいる。起こして、「唱えなくていいの?」と、きくと「忘れとった」と、あわてることもなく、形だけ体裁をつくろい手を合わせた。。自分の体で精一杯です。生きているものは、なにかしら辛い。「なんみょうほうれんげっきょう」と、深夜につぶやく彼女。やはり、忘れているようで、忘れてはいない。

彼女は、七十三歳。
深夜、トイレへ行くことを拒む。部屋のそこいら中に、尿や便をする。ポータブルを置いても使い道が解らない。洋式トイレが理解できないのだ。それでも、便の臭いが、我慢ならないらしく、紙でまるめて窓から外へ捨てる。洗面器を置いてみた。うまくいってその中ならするようになった。職員が、長方形の洗面器を見つけてきた。益々、按配がよい。
夜、運動会をするのは、たったひとりの職員だ。ねずみにひかれる暇もなく一番鳥が鳴く。

信仰の 燭を無月の燭となす

村越 化石

○日「どんとこい」

彼女は、七十七歳。たいてい眠っています。リズムを崩さないように、日中はあれこれとレクをもりこんで起きてもらいます。ところが、メイトになって三年がものをいいます。職員の性格をめざとく把握しているのです。弱腰の職員には、しかめっ面をしてみせます。
それでも、効を奏さないときは、「あとでする」「したくない」とはっきり断られてしまいます。職員が一人前になる通り道、洗礼のようで、断られなくなったら職員として一人前なのかもしれません。彼女は自分の持ち物に執着します。洗濯物の行方が気になってしょうがありません。「あの服がない」突然、言いつのります。なにがなんでもない。と職員一人ひとりに訴えます。そこで、歩行訓練を兼ねて物干しまで「確認作業」に行くことを職員が思いつきました。これはいい。一石二鳥です。本人も「それがいいね」納得します。外に出たついでに足を伸ばして、散歩に出かけたり、歩行訓練したりして、今までにない日常を体験してもらいます。作戦大成功です。一週間経ち二週間経ち、頭のいい彼女は、「作戦に乗せられている」はたと気づいたようです。かくて洗濯物は自室に干すことになりました。軍配は彼女に上がり、彼女なりのリズムを壊さないように睡眠をむさぼるのでした。

先日、若松イオンへ買い物ツアーに出かけました。彼九十三歳は、狂喜して衣服を買いあさりました。ものすごく嬉しそうです。
「これはいいですなー」若者が着るようなTシャツを掴みます。袖が派手な紫色です。ほかにもたくさん買いました。帰宅してから、モデルのように着て見せてくれます。「にあうねー」「わかいねー」ヤンヤの歓声に満更でもないらしく、「もう一枚買えばよかったですなー」意欲をみせます。彼は、今年、入院が重なり一時は、体力が落ちてしまい、このまま弱ってしまうのかと危惧されていたのです。それを思うと買い物に意欲を見せる彼に熱いものを感じますそれでも時々は、うつ症状が見られます。早朝、外をじっと見つめハラハラと涙を流しています。なにかあったのかと驚き、声をかけます。「どうしたの?」彼の頬は、涙で濡れています。「具合が悪いの?」返ってきた答えが揮っています。
「天気がいいから」テンキガイイカラ・・・・二三度呟いてみます。そうね、天気がいいと感激するよね。あまりにも天気がいいと泣けるよね。時々泣くのは、心の洗濯になっていいよね。
今日、彼が着ているTシャツも、あの日買ったものです。

白地の服の左胸の辺りに何か書いてあります。しわを広げて読みます。
「どんとこい しあわせ まとめて こい」
みんなにまとめて幸せがどんとこい。
その日から、「どんとこい」が流行りになりました。

すらすらと 昇りて望の月ぞ照る
    日野 草城

○日「サイン」

今日は、敬老会。早朝より女性軍は、そわそわして化粧、身支度に大忙しです。公民館では周りの方に申し訳ないほどの特別待遇を受け地域の方々のご親切には頭が下がりっぱなしです。その中で、人一倍おしゃれな彼女(九十四歳)は、完璧な様相で姿勢も正しくどことなく気取っているようにみえます。心をこめた舞踊が演台で始まりました。ふと、彼女に目をやると怖い顔をしています。なにか不満のある「サイン」です。
「どうしました?」聞くと、無言で自分の足元を指差します。裸足です。
「靴下を忘れているじゃないの!こんなみっともない姿でどうするのですか!」
怒り心頭で今にも頭から湯気が出そうに、職員を睨みます。

普段は、物静かでしとやかな彼女ですが、人前ということもあり、素足の格好がひどく気にいらなっかったようです。その証拠にモゾモゾと足元が見えないように隠します。職員には、鬼の形相で文句を言いましたが、辺りに鎮座するご近所さんには、仏様のような美しい笑顔をつくり、受け答えします。元々美系の彼女に、笑顔はとても似合います。つまり、内と外をきれいに使い分けが出来るようになったということです。素晴らしい回復力です。去年の敬老会では、見られなかった言動に、少しばかりムッとしながらも、嬉しい職員です。マッハで靴下を取りに行き彼女に手渡します。礼を言うでもなく再度、キィッと、睨まれます。気づかれないように靴下を履き終え一息つきます。舞台では、民謡に乗せてお揃いの衣装の踊り手たちが賑やかに踊っています。老人のお客様は、もてなしのお菓子やお弁当、飲み物を前に真剣に見入ります。なのにただ一人、彼女は、あらぬほうを見てハンカチで目頭を押さえています。「サイン」です。彼女の気持ちを鑑みます。靴下が余程気に入らなかったのか?感激しているのか?感情は悦にいり、とうとうポロポロと大粒の涙がこぼれます。彼女の目線を追います。舞台脇の幕に視線があるようです。特に感慨深いものは見当たりません。と、いうか何もありません。字が書いてあるだけです。

「贈与 鶴田 要」
立派な刺繍で刺してあります。
瞬間、頭の中に日頃の言動がよぎりました。

彼女には、亡くなった息子さんがいます。その方の名前が「要」です。子供の話しをするときに繰り返し「要は、優しい子やった」と涙ぐんで話します。長生きすればするほど、先に旅立った子供の不運が嘆かれ、亡くなった子の歳を数えてしまうものかもしれません。不毛なことですが、母であることは、最期まで、忘れません。席を移動したのはいうまでもありません。帰宅して、ひと段落着き、彼女の部屋を覗くと、なにやらソワソワしています。「サイン」です。訊ねると、「私のバックがない!」なのです。まるで、あんたがわるいと言わんばかりに鬼の形相でにらみ、大騒ぎを始めました。この病気の方は、表情がコロコロと変わるのが特徴なので、仕様がありません。悲しいような気分です。他のメイトも巻き込み、大捜索になりました。公民館にとって帰します。が、探せど見当たりません。探しあぐねて戻ります。彼女に事情を話します。時間が経ち、少しは、落ち着いてきたようです。「まさか、こんなところにはないよねー」きれいに四つに畳んだ掛け布団をめくってみます。すると、これまた丁寧に畳んだバックが「ここよ」と言わんばかりに隠されていました。双方、声も出ません。夕食時、共用に顔を出した彼女は、鬼でも仏でもなく、ホッペを赤く染めた子供のような顔でした。

秋の夜の 猫のあけたる障子かな
      細川 加賀

第1・第2ホーム

9月のレクリェーション

18日
20日
26日 敬老会海
ドライブ
若松イオン買い物
宗像庄助邨

10月のレクリェーション
もりフォーラム(山田緑地)に
参加します。みなさん喜ばれます。ご家族のご参加お願いいたします。
10月21(土)10時集合
昼食各自持参でお願いします。

9月誕生日
1日
22日 船津 猛雄さん93歳
向 梅子さん79歳

10月誕生日
20日 川野 八千代さん95歳