2007年10月号 編集 砂川 香代子  


○日「柿 」
入道雲がもくもくと立ち昇る。
干した端から乾く洗濯物。
まとわりつく汗。
こののまま夏が終わらないような気がした。

お彼岸が過ぎた朝早く、突然あなたは逝ってしまいました。
驟雨(しゅうう)が静かに降って、まるで悲しみの曲を奏でているようです。
肌寒く、夏が終わったことを知ります。夏を連れて行ってくれたのですか?

笑みを浮かべて眠っているあなたは、
「もう、いいもんな〜」
きっぱりと、私たちに語っているようにみえます。
この四年、いろんなことがあったのに、にっこり笑った顔だけが、浮かびます。

住人となった当初、協調性が全くないあなたは、次々に問題を起こしましたね。
それは、朝から晩まで続き、気が抜けない毎日でした。他人の欠点が許せず、なにかにつけ、暴言を吐きます。気に入らないメイトに向かって鬼のような形相で、「殺してやる」と、怒鳴り、台所に走り、あっと言う間に、包丁を掴み取って、立ち向かってきました。その時の怖さは、たとえようも無く恐ろしく、暫く彼を真っ直ぐ見ることが出来ませんでした。たくさん話し合いました。繰り返し、いいこと、悪いことを話し合いました。繰り返すことで、少しずつ、暴言が減り、気持ちが通じるようになりました。時を経て、足腰が弱り、動きも鈍くなると、灰汁をすくうように、ただの優しいおじいさんになりましね。なんだか拍子抜けして、別人を見る思いがしたものです。それでも、ただ一つ変わらぬことがありました。煙草です。玄関の脇に鎮座する椅子。煙草を吸う時の椅子です。愛煙家のあなた。吸うときも、吸わないときも、いつの間にやらそこに座っていました。訪問者は、一番にあなたと出会います。

好々爺になったあなたは、笑顔で、来る者すべてを笑顔で迎え入れてくれました。
もの言いたげな椅子は、ポツネンと同じ場所に今も、鎮座しています。主が腰掛けてくれるのをまるで、待っているかのようです。行き交う度、座っているあなたが、いるようで、目が探します。隣の畑の柿の木。今年も、たくさん実をつけていますよ。元気な頃、散歩に行くと、柿の実を見つけては、
「ほしいな〜」
「くださいな〜」
「柿は、うまいもんなぁ〜」
念仏のように繰り返し、繰り返し言いましたね。

ある日、道の端で柿を千切っている家族に出会いました。彼の一念が通じたのか、一枝もいで下さいました。実が何個もついています。
「良かったね〜」
「良かったね〜」
恵比須顔です。

実が着いたまま、花瓶に活けました。柿は、一つ二つと毎日、減って、とうとう、葉っぱだけになりました。こっそり食べた柿の味は、どんな味だったのでしょうか?玄関に飾った大きなグミ木、プチトマトの苗、いずれ彼の胃袋へと直行しました。蝉は、いつのまにか鳴かなくなりました。洗濯物もすぐに乾きません。
空は、澄んでどこまでも広く、青く、今にも、飛んでいけそうです。

あれから あなたは、どうしていますか?痛みも苦しみも無くなり、制限されることのない煙草をいっぱい吸って、しあわせに暮らしていますか?私が行くときは、迎えに来てくださいね。その時は、秋がいいですね。

あなたの好きな柿があるもの。

「 鳴らない音 」

住人になって間のない彼。誰もが通過したように様々な展開をみせます。他人の様子が、目に付いてしかたないらしく、背筋の曲がったメイトに、「姿勢が悪い」と、叱りはじめ、いきなり力任せに背筋を伸ばそうとします。そのくせ、他人の注意は撥ねつけ頑固な一面をみせます・お風呂で、紙パンツを洗います。夜中、落ち着き無く歩きまわります。枕を二つ並べて、一緒に寝ようと、職員に言い募ります。家具が始終動きます。「帰りたい症候群」が高じてなんと、窓を外す荒業をやってのけ、ベッドや引き出しを外へ出そうとします。何度も着替えます。衣服をばらまきます。

気を抜くと、脱走をはかります。
若い職員の首を絞めて、泣かせてしまいます。数えれば、きりがありません。心の落ち着く場所を求めてここに集うメイト達全員の歴史でもあります。
「かまってくれ」「かまってくれ」
「かまってくれ」「かまってくれ」言っているように聞こえます。
「愛」が、解決へと導いてくれます。、毎日をあわてず、ゆっくりと暮らし

愛をはぐくんでいくことしか、解決への糸口はありません。所用があって外出する時は、必ず彼を誘います。オシャレな彼は、衣服を整え、帽子を被ります。粋なおじさまの出来上がりです。ドライブは大好きです。真っ白なシューズを履きます。足元を止めようとした職員に、「触るな!」と、一喝します。
まだまだ、お互いの理解は浅いようです。意気揚々と車に乗り込みます。車の中で気の緩んだ彼は、若い職員にお説教を始めます。
「あんたの言うことは、はっきりせんね。まるで、夜明けのガス燈(とう)やね」言いたい放題です。
言われた職員は、「ガスト?」
「『ガスト』が、どうして、はっきりしないのですか?」二十一の職員が、怪訝な顔をします。
チンプンカンな会話を聞いて、若い方が、ガス燈をファミレスのガストと、思い込んでいることを知り、大笑いします。年代の違いは行かんともし難いようです。

彼のお得意は、ハーモニカです。ベッドに腰掛、思い出したように手にします。題名がさだかでない、曲を毎日吹きます。気持ちが落ち着くのかもしれません。達者な吹き口は、ゆるい風に乗って、みんなの耳に届きます。
「やってるな」
彼の存在を感じます。音は、メイトの心を豊かに和ませてくれます。メロディーが時々くずれます。鳴らない音があるのです。ならない音は、ハーモニカの歴史であり、彼の歴史なのかもしれません。嬉しいのか、悲しいのか、その音色から察することはできません。もしかしたら、なくした音は、彼のかけおちた記憶そのものなのかもしれません。
どんな音だったのか、過去にかけのぼって耳を傾けたい気がします。